【報告】「ほくほく」からの2024野辺山ウルトラマラソン
5/19は第30回星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンでした。全国で開催されているウルトラマラソンの中でも東日本最難関と言われる大会で、斎藤健一郎さんは今年で3回目のチャレンジです。いつもと違うのは健一郎さん単独参加ではなかったこと。100㎞部門に健一郎さんの同僚の香取啓介さんと舟橋宏太さん、そして私も42㎞部門に参加しました。(川合英二郎)
さながら勇者の砦!?
大会前夜、仲間と談笑しながら準備をするのは楽しいひと時です。どんなトレーニングをしてきたか、今回の目標はなにかを話しながら、タイム計測用の札やゼッケンを靴とシャツに取り付けました。運動会の前日のように、翌日のことをあれこれ考え、わくわくしたり緊張したり。もう大人なので、夜中まで騒ぐことはなく、21時過ぎにはほくほくの再エネ100%電気が全て消えました。
さあ出発だ
起床はまだ真っ暗な朝の3時。ほくほくの照明がぱっと明るくなると同時に永田一庸さんが私たちをサポートするために東京から車で駆けつけました。私たちのコンディションを考えて、起床時間までドアを開けずに待っていてくれるという配慮ぶりがスーパーサポーターたるゆえん。永田さんは健一郎さんとは大学時代からの友人で、ほくほくプロジェクトをずっと支援してくれています。
朝ごはんもしっかり食べ、忘れ物をチェックし、永田さんの運転するスバルXVが私たち4人を乗せ、長野県南牧村の大会会場、スタート地点に向かって出発しました。
緊張のスタート
約30分のドライブで到着。早朝にもかかわらず開会式、スタートの案内のアナウンスが大きなスピーカーから流れ、会場は盛り上がっています。人口約3千人の南牧村に、人口を上回る3,300人のマラソンランナーが集うこの大会は、周辺町村あげての一大イベントです。入念にストレッチをする人、コスプレで談笑する人、そして私たちのように緊張しながらきょろきょろする人、色んな人が集っています。
私は5:00スタート、健一郎さんたち3人は15分後のスタートです。約1,500人いるスタートラインに一人緊張して並んでいると、健一郎さんから電話がかかってきました。
「ねえコップの予備持ってない?」
紙コップでの給水はゴミになるので、最近はコップ持参でゴミ削減をはかる大会が増えています。健一郎さんは、せっかく前の日に買ったコップを忘れてきたようです。私は予備のコップは持っていませんでしたが、この電話で緊張が解けました。
野辺山のマラソンは、前半ほとんど登りです。しかも7kmぐらいから、未舗装路に変わります。これはマラソンというよりもトレランじゃないかと感じるほど未舗装路が多く、アスファルトもデコボコがあります。走るルートに気を付けないと、つまづいたり、足首をひねってしまいます。スタート地点1,355mから最高地点1,908mまで上り下りを繰り返しながら上がっていきます。ここで頑張ってしまうと筋肉を消耗してしまうので、完走を目標にする場合前半で飛ばし過ぎず、なおかつ安全に関門を通過するスピード調整が求められます。また最高地点に到達し、後は下るだけと安心していると、その後も登りが現れます。これがとても辛い!
私は途中で何度も歩きましたが、後ろから仲間が追いかけてくるというプレッシャーが背中を押しました。標高のせいか、少し息苦しさがあるものの、身体と気持ちにムチ打って走りました。
フルマラソンゴール地点・42㎞関門
ほとんど平坦な道がなく、下りか登りばかりの山間コースを進みます。フルマラソンのゴールに向けて最後の5キロほどは長い下り。ここでたくさんの人に抜かれましたが、なんとか踏ん張り、私は初フルマラソンのゴールテープを切りました。
ゴールからほどなくして永田さんがきてくれました。42㎞関門は長野県小海町の八峰(ヤッホー)温泉です。マラソン参加者や関係者、温泉利用者で人が多く、駐車場へのアクセスが温泉の営業時間になるまで制限されていて、駐車場になかなか入れなかったようです。
永田さんと皆の状況を話し合っていると、100㎞目指すか香取さんが到着し、颯爽と次の関門へと走っていきました。15分ぐらいすると舟橋さんがやってきました。表情からは元気なのかしんどいのか読み取るのが難しいのですが、「行けるところまで行く」と出発していきました。
一緒に参加したメンバーがもっと先まで走っていく姿を見ると、42㎞が短く思えてきます。
でも自分は自分。昨年の野辺山ウルトラマラソンを69キロタイムアップした健一郎さんに、「英二郎さんなら走れるよ」と言われ、53歳で野辺山のフルマラソンに出ることを決意してからちょうど1年です。最初は途中歩きもいれてゆっくり3㎞を走るのがやっとでしたが、食事の見直しと運動で10㎏減量し、今年に入ってからは毎月100㎞走ると決め実行してきました。目標時間の5時間を切って完走した自分を心から褒めました。
関門締切48分前。余裕の香取啓介さん。
健一郎が来ない
今回のメンバーの中では最も経験のある健一郎さんが来ません。心配しながら待っていると、「膝が痛くなり歩いている」と42キロまで残り3.5㎞のところから連絡が来ました。残り24分。歩いていたら関門通過はできません。ギリギリの状況です。結局、締切時間を20秒過ぎたところで健一郎さんはやってきました。体力はまだまだありそうですが、膝が痛くては走れません。無念のリタイアでした。
「永田くんがサポートすると、いつもリタイア早いんだよね」と健一郎さん。
永田さんと私は顔を見合わせました。東京からわざわざやってきて、長時間のサポート役を買って出てくれた永田さんに、とんでもない暴言ですが、永田君は「健ちゃん、ひどいなあ」と笑っています。リタイアした悔しさを、気ごころ知れた友人にぶつけたかったようです。
それにしても健一郎、ひどい!
見守り隊結成
大会参加者はコース上にある稲子湯・八峰の湯・滝見の湯に無料で入浴できます。八峰の湯には42kmを走り切った選手が何人もいました。今日の走りがどうだったか、他のマラソンはどうだったとか、あちこちからそんな会話が聞こえてきました。100kmにエントリーしている人が温泉に入っているのには驚きました。まだ100kmの半分も走っていないここで、温泉に入って体をほぐそうという作戦なのでしょうか?
私たちは42kmの疲れを温泉で洗い流し、昼食をとりました。なんと永田さんが労をねぎらってご馳走してくれました。ウルトラサポーターだ!
温泉に入り、ご飯も食べて、元気いっぱいの見守り隊が結成されました。そこへKさん舟橋さんから50km地点通過の連絡が入ります。正直に言うと、私は心の中で「2人は50kmでリタイアするんじゃないか」と考えていたので、「ごめんなさい」と心の中で謝って、精一杯応援するよう、頭を切り替えました。
大健闘の2人
次の関門68km地点です。2022年大会で健一郎さんがタイムアップになった地点を2人は通過できそう。そこで、70km地点から少し先の滝見の湯の駐車場に先回りして応援することにしました。駐車場には香取さんの家族3人が東京からやってきていました。野辺山まで応援に来るのも大仕事です。香取さんの姿を見つけると、待ちくたびれていた子どもたちと私たちの声援が響き渡ります。冷静な香取さんは自身のタイム、関門の締切時間を計算し、100km走るマネジメントをしながら坂を走っていきました。
「行けるところまで行くけど50kmしか無理やろ」と言っていた舟橋さんも坂を歩いて登ってきました。しかし、私たちの声援を聞くと走り出しました。疲れている時に登り坂で走り始めるのは本当にきついものです。その姿を見て、健一郎さんが「いやあ、本当にがんばっているなあ」と感動の涙を流しています。
ここからコース最大の難所ともいわれる馬越峠までは傾斜がさらにきつくなり、トップランナーが通過した後、走っている選手はいません。見ているだけで辛そうですが、足を止める人もいません。馬越峠の頂上を過ぎると、下りが続くことがわかっているので、力を振り絞っているのです。結果的に舟橋さんは馬越峠を登り切ったところ、79km関門でリタイアになりました。
香取さんは馬越峠を越え100km走り切れる可能性が出てきたため、舟橋さんと合流し、ゴール地点で待つことにしました。しかしなかなか来ない!車でコースを遡り、時計を睨みつつ、暗くなり始めたコース上にオレンジ色のTシャツを着たKさんの姿を探しました。
14時間走り続け、100kmまで残すところあと5kmの地点、緩やかな上り坂でオフィシャルカーにタイムアップを告げられる香取さんの姿を見つけました。遠くからゴール会場の音声が聞こえていたそうです。95km走ったのはすごい!
ほくほくの2024野辺山ウルトラマラソンはそれぞれのドラマがあり、GOOD RUNでした。
“エコハウスほくほく”と、マラソンに何の関係があるのか?
エコハウスとウルトラマラソン、直接の関係はないかもしれません。
この季節、朝晩の寒暖差が15℃ほどありますが、ほくほくの室内温度は22~24℃で安定しています。この日起床時の外気温は11℃ですが、室内は暖房しなくても22℃ありました。暖かい部屋で寝ることで、身体が休まります。また朝も起きてすぐ動き出せるのです。野辺山ウルトラマラソン基地に最適です。
それに、野辺山のマラソン参加がきっかけで、ほくほくを知り、エコハウスに興味を持ってくれる人がいればしめたものです。ほくほくの活動は、快適なエコハウスを標準化することですから。
2025年健一郎さんは4回目の野辺山ウルトラマラソン100㎞走破チャレンジ、私は1つカテゴリーをあげて68㎞部門エントリー、そしてサポーターだった永田さんは42㎞にエントリーすることを決めました。舟橋さん、Kさんも完走を目指してきっと再チャレンジするはずです。
永田さんがサポーターから選手になるので、早速仲間の菊地さんに連絡して、来年のサポーターを依頼し、快諾をもらいました。
もしかすると、この投稿を読んでいる方の中から、来年一緒に野辺山ウルトラマラソンに参加している方がいるかもしれませんね。(川合英二郎)
コメントを残す