連載|2025野辺山ウルトラマラソン挑戦記【中編】
ピャラピャラピピピャラピピピャラ続々と通過する走者を感知しては、ゲート下の計測装置がピャラピャラと機械音を出している。ゲート下の計測マットを踏み、ぼくたちは物理的にもネット上でも走り出した。
ゲートの50mほど先に、永田さんと、菊地さんがカメラを構えて声援を送ってくれている。「行ってくるね~」と声援に応えた。
序盤にスピードを上げて追い抜くのは体力を消耗する。流れにのり、6:30/km前後で野辺山駅前通りを抜け、レタス畑、天文台を通過、JR小海線横の直線を走る。200mぐらいだった走者の塊が徐々に細が長く伸びていき500m以上になっていた。
出走前に車で通過した鉄道駅最高地点はスタートから7km、最初のエイドだ。永田さんと菊地さんが先回りして、2回目の声援を送ってくれている。さっきまで一緒にいたのに、既に嬉しい気持ちになっていた。

7㎞地点のエイド前より 撮影:永田
国道141号線を横断すると、登りが始まる。このだるい坂の奥にそびえる八ヶ岳が走者に圧をかけ始める。標高のせいか、ぜーぜー言いながら早くもスピードを落としている人もいた。
自分にあいそうなバディを見つける
長時間走っていると、自分のペースに会う人が現れる。ぼくは、キリンさんではなく、自然体で走る香取さん、羽鳥さんの二人に合わせて走ることにした。高校の同期である香取さん(のっぽの陸上部)と羽鳥さん(小柄な野球部キャプテン)は、見た目は凸凹でも、走る姿は息ぴったりの最強コンビ。この2人のペースに合わせればいいタイムで完走できる気がしていたのだ。扶紀子さんもそう考えたのか、たまたまなのか、同じようなペースで走っていた。
仲間とくっついたり離れたりしながら、この大会最高地点(標高1908m)に来た。この先、ここより高いところがないと思うと気が楽になる。一人で走っていると、自分のタイムや距離、心拍数にどうしても意識がいってしまうが、仲間の姿が見えると、そんな自分との闘いも一次休戦。ゆったりペースで完走を狙うウルトラマラソンは絶対にバディがいた方がいい。

林道を走る。撮影者が長身のだからか、ぼくの視野より10センチほど高く感じる。 撮影:香取
ナイスラン姫
「ナイスらーん」「ナイスらーん」
道が砂利道に変わるころから、みずみずしい声が何度も耳に入ってきた。
応援カーでもいるのかと思ったら、小麦色に日焼けした快活な女性が、次々と声をかけながら軽快に走っていた。声をかけられている人の中には「〇〇大会も出てましたよね」などと他の走者に話しかけられれば、笑顔で応えてた。
この人、きっと有名人だ。自分のところにきたらどうしようか、ドキドキした。
しかし、ぼくのところは「ナイスらーん」はなく、他の人と話ながら抜いていった。
香取さん、羽鳥さんが、近くにいたので、「あのナイスランの女性はきっと有名人だから一緒に写真とってもらおうよ」と提案すると、
二人とも「よくぞ言ってくれた、えいじろう」とばかりに、二人はうなずいた。
最高地点近くのエイドで追いつき、写真をお願いすると、
「えっ、いいんですか〜? 私なんかで〜!」と快諾してくれた。
勝手に“ナイスラン姫”と名付け、一緒に写真をとってもらった。

”ナイスラン姫”こと「めぐちゃん」と 撮影:英二郎
しばらく抜きつ抜かれつがあったので、姫ランを観察すると、登りは歩き、登りはしっかり歩き、下りは1km4分台で迷いなく駆け下りていた。もちろん、「ナイスらーん」と声をかけながら。
自分もナイスラン姫のように楽しみながら走れたらいいのになあと思った。
稲子の湯
34.1㎞地点のエイドは稲子の湯という温泉旅館前にある。
去年、ここで飲んだナガノトマトのりんご味のシンシュウエナジーが美味しかったのだが、今年は、塩トマト味が提供されていた。効きそうな味だが、個人的にはりんご味が恋しかった。
トイレにいつ行くかも戦略上とても重要だ。途中、何度か用を足しに行こうかと思ったが、長蛇の列を見て我慢していた。しかし稲子の湯のトイレは水洗だし、数もあるのでトイレソムリエの香取さんと並んだ。
トイレは西側が女性、東側が男性用だが、なぜか待ちの列がクロスしていた。誤って出来た待ちの列はトイレ直前に来るまで分からないので、修正する機会を失っていたようだ。自分の用事が済んでしまえが、それっきりになるし、そう大したことではないからそのままにする。「暮らしの中でも、軽い不便のまま放置することってあるよな」と苦笑いをしながら、トイレを離れた。
稲子の湯は、映画「岳」のロケが行われたという。山に登ったり、ラン合宿をやり、この温泉にゆっくり浸かってみたい。

稲子の湯のエイド 撮影:健一郎
八峰の湯
1年前に初めて走ったフルマラソンのゴール地点、やっほー(八峰)の湯に到着。永田さん菊地さんが来てくれていて3回目の声援を受けた。時計を見ると、10時24分。5時15分にスタートして5時間9分が経過していた。
「羽鳥さんが少し先に出発して、小島さんも出ていったよ。扶紀子も今きたところ。」ここでも菊地さんが端的に情報を伝達してくれる。一方、永田さんは「いやあ、みんなすごいよ。42㎞走ってここからまだ先に行くって。絶対おれには無理だわ」と菊地さんと対照的だ。
永田さんは2024年の野辺山ウルトラマラソンのサポーターをやってくれた。この時は、仲間の奮闘に心が動き、「自分も走る」とStravaの登録もし、皇居ランにも一度参加した。しかし仕事、私事、いろいろあって出場を断念した。永田さんともいつか一緒に走りたい。
スマホを確認すると、健一郎さんが35㎞地点の稲子の湯から「元気ゲージが確実にダウン中」とメッセ―ジが来ていた。
八峰の湯は第2関門。規定時間内に通過できないと、ゼッケンに×を入れられ、それ以上走ることができなくなる。「×って悪いことしたみたいで良くないよ。」と常々健一郎さんは言う。
昨年、健一郎さんは42kmの関門を規定時間内に通過できなかった。大会前、「42㎞の関門突破できなかったら、去年みたいに八峰の湯に浸かって、ビールを飲み、永田さんに悪態をつくことを禁止し、ゼッケンを外して50km(49km関門)地点まで走る」と約束していた。
ただ、“元気ゲージ”なんて、気の利いた表現をしているうちは、脳が切羽詰まっていないからまだ大丈夫。健一郎さんは42㎞の関門は通過してくると思った。
これで、仲間の状況は概ね確認できた。42㎞地点のエイドは、食べ物も充実している。好物のさくらんぼを何度もほおばっては種をはき、最後におにぎりを口に押し込んで、先に進んだ。

42㎞地点をトップ通過の羽鳥さん。登りが苦手なので、下りで時間を稼ぐという作戦 撮影:永田

ツイストが入ったポーズが素敵な扶紀子さん 撮影:永田
痛みとともに心のダークサイドが現れる
ここまで順調だったが、松原湖の横を通過するあたりから、傷めていた足首が気になり始めた。足首を気にし始めると、今度は膝裏に痛みがやってきた。痛みを気にしてスピードを落とすと、ブレーキをかけることになり足に負担がかかる。37㎞地点から長い下り坂が始まり、47㎞地点でぼくの足が壊れてしまった。
ペースダウンしていると、どんどん追い抜かれていく。
48kmのあたりで「流してますね」と後ろから、声をかけられた。振り向くと笑顔の香取さん。ぼくは、気の利いた返しを考える余裕はなく、「足こわれちゃったから完走は無理かもしれないけど、行けるとこまで行くは」と伝えた。
あきらめの言葉を口に出したことで、気持ちも崩れていく。
のっぽの香取さんが、みるみる小さく離れていくのを見ながら、「きゃとり(香取さん)はアキレス腱炎でほとんど練習できなかったじゃねーか」「ちくしょ~、俺だけでも完走するはずだったのに」と、妬みで気持ちが真っ黒になっていく。
皆で完走を目指そうとリーダー役を買って出たとき、「エンジェルなえいじろう」、略して“エンジェロ―”を名乗ったら思いのほかウケて、それ以来、仲間内ではそう呼ばれるようになった。
だが、気づけば心に黒い影が差していた。
「皆と共に」だったはずの走りが、「自分がどう見られるか」「どれだけ先に行けるか」へとすり替わっていく。
アナキンがダークサイドに堕ちていくように、ぼくもまた“エゴジロウ”へと変わりかけていた。
しかし、意外にも、すぐに仲間と再会し、気が晴れた。

49㎞地点のエイドにて。ここで約半分 撮影:英二郎
49㎞地点のエイドに、小島さん、香取さん、扶紀子さんがいた。羽鳥さんはもう少し先に行っているようだ。
先に到着していた小島さんは「ぼく行きまーす」とひょうひょうと出発。
小島さんは北大の後輩だ。33年前に、札幌の北20条にあるおんぼろだけど広い3LDKをシェアして住んでいた。床のたわんだリビングには煙突のついた巨大なストーブがあり、着火するとリビングだけはすぐに暖まる。自分の部屋も暖めようと個室のドアを開けると、暖まったばかりのリビングに個室から冷気が押し寄せてきた。生活パターンが違ったので、ぼくが部屋にいると「ぼく行きまーす」と雪の中へMTBに乗って出かけていったのを思い出した。
さて、このエイドの茹でたて蕎麦は参加者に評判だ。トイレ以上の長蛇の列が出来ていた。ここで蕎麦の列に加わるということは、精神的、肉体的にも余裕がある人たちだ。
香取さんは、トイレも蕎麦も両方待ちの列に並び、ぼくはスマホの充電が切れかけた扶紀子さんと出発することにした。
「川合さんは予備の充電バッテリーないよね。」
「別に私待たなくていいからどんどん走ってね。」
走りも、しゃべりも扶紀子さんはマイペースだ。
50km地点をほとんど同時に通過したが、だんだんついていけなくなる。左手に紙の地図を持ったまま走る彼女の姿は小さくなり、やがて見えなくなった。
「ちっ、扶紀子(呼び捨てごめん)54㎞でリタイアするんじゃなかったのか。」
天気予報どおり、気温は25℃を超え、まだまだ上昇中。黒く焼けたアスファルトが陽を吸い込み、体感温度はそれ以上だ。
「5月なのにセミが鳴いてんじゃん……俺も泣きてぇ……」
近くを走る男の、わざとらしいほど大きな独り言に共感するも無視。
一人で走る時間が増え、太陽が容赦なく照りつけるほどに、自分の中のダークサイドがうごめき始める。
道中、ホースで水を流しっぱなしにして、走者が水を浴びられるようにしてくれている人がいた。「いいですか?」と声をかけると、笑顔で「どうぞどうぞ」と返事が返ってきた。冷たい水を頭から浴びると、しょっぱいぬるい水が、顔を伝って流れていった。
“ねたみ”にはエアーサロンパス?
折り返し地点に向かって走る人と、折り返してきた人がすれ違うことを“スライド”と言う。このコースで一か所だけ、北相木村役場に向かう道がスライドになっている。
スライド地点の300m手前で、蕎麦でパワーアップした香取さんに再び追いつかれた。「去年は、この先ちんたら歩いたんですよ。」と笑顔で話す彼に、今年は走るぞという気迫を感じた。
「大丈夫ですか?まだ行けそうですか?」と聞いてこないところに、香取さんなりの心遣いを感じる。
香取さんを見送り、道路の少しくぼんだところで、足の傷むところを揉んでいると、後ろから突然サロメチール臭がしてきた。「どっか痛いとこがあったら言って下さい。効きますよ。」「こっちの足はどう?」知らないおじさんがぼくの足にエアーサロンパスをこれでもかと吹き付けてくれた。斜め後ろからシューシューしてくれたので、顔を全く覚えていない。改めてお礼を言いたい。
足を揉んでいた手にもエアーサロンパスがしっかりかかり、その手でおでこの汗を拭いたら、ひゃーとなり、気分もすっきりしてきた。もしかすると、エアーサロンパスの効能には“痛み”だけでなく、“妬み”を鎮める効果もあるのかもしれない。
スライドに突入
野辺山ウルトラのスライドは、往きが登り、帰りが下りになっている。道路の向かいを、自分よりも10kmほど先行している人たちが、颯爽と駆け抜けていく。
スライドを嫌う人もいる。これから自分は、折り返し地点まで走って、ここまで戻ってこないといけない現実を突きつけられるような気分になるからだ。
ぼくは、エアーサロンパスで前向きになっていたので、先行する仲間とのすれ違いにわくわくしていた。「羽鳥さんはどんな服着てたっけ、小島は赤Tにチェックの短パンだったよな(後輩なのでついつい呼び捨て)」と道路の反対側に目をやりながら、足をすすめる。
羽鳥さんは先に行ってしまったようで、スライドでは会えなかったが、小島さんがやってきた。向こうもこっちも笑顔になる。自分の近くを走っている人たちも、向かい側に仲間や知合いを見つけると、「ナイスらーん」「頑張って~」と両側から声をかけあっている。
お互いに目に見えないエネルギーを分け合っているようで、こんな“すれ違い”なら大歓迎。
とはいえ、スピードが落ちたぼくには、折り返しまでがとてつもなく長く感じた。登って、少し下って、長い直線の先が折り返し地点かと思うと、また登る。スマホで地図を見れば、自分の位置が一目でわかるけれども、それはしたくない。
道路の反対側を走る人のスピードが、スライドの入り口ですれ違った人に比べて明らかに遅くなってきた。不思議なことに、スピード差がないと、すれ違いで受け渡せるエネルギーも少なく感じる。
高性能住宅では、熱交換換気システムというものが使われるのだが、これは室内の空気を排出する際に、その熱を吸気に渡して換気するというもの。吸気と排気の温度差が少ないと、受け渡しの熱量も少ない。
スライドと熱交換換気は似ているな。「これ、ほくほくのブログに使えるやつじゃん」と、にやけたところで、スライドの折り返し地点が見えてきた。折り返し地点は道路から少し下りた公民館の前にある。そこを、ちょうど、扶紀子さんと香取さんが登ってきた。

折り返し地点から登ってきた香取さんと扶紀子さん 撮影:英二郎
冷凍パインで意思が固まる
「英二郎さん、ロキソニン(痛み止め)要りますか?ぼくは飲んでないないけど、飲んで走る人もいますよ」と香取さん。「ええっ?そんなことまでして走るの?」と怪訝そうに言う。
扶紀子さんは心の声が明確な言葉になってすぐ出てくる。
「とりあえず渡しておきますから」と香取さんから、一錠受取り二人と分かれた。
とりあえず、水分が補給したいと思ってエイドのテーブルに行くと、冷凍パインを配っている。正直に言うと、普段冷凍パインを売っていても、買おうとは思わない。しかし、50㎞以上走ってきた先で、冷凍パインが出されると、たまらなく嬉しい。
冷凍パインにはいろんな効能がある。冷却作用で、オーバーヒート気味の体を内側からクールダウン。果糖やブドウ糖といった糖分で即効性のあるエネルギー補給ができ、水分やカリウムなどの電解質も補える。
加えて、パイナップルにはたんぱく質分解酵素が含まれていて、長時間走り続けて弱りがちな胃腸にも優しいのだ。
食べ過ぎると、お腹を冷やしてしまうため、2個食べて終わりにした。冷凍パインで体内を冷やし、エイドに用意されていた柄杓で水を一杯頭からかけると、まさに“冷静”になった。
マラソンの後に、仕事に支障があるほど責めない。
健一郎さんの野辺山最長記録4関門は突破する。
そして、滝見の湯に入る。今年はこれでいい。
こんな風に方針が固まった。今回のぼくのゴールは71.5㎞、滝見の湯だ。
しじみの錠剤とロキソニン
方針は決まったものの、まだ迷いがあった。
先ほど香取さんからもらった、禁じ手、ロキソニンだ。
一方、大会前日に、「マラソンの途中でシジミの錠剤飲むとギアが入りますよ」と羽鳥さんから、シジミの錠剤をもらっていた。シジミにはリポビタンD宣伝で耳にこびりついているタウリンや、オルニチン、亜鉛も含まれている。羽鳥さんからもらった時は、秘密兵器をもらった気持ちでとてもうれしかった。
本当は、後半の最難関、馬越峠の前で飲むつもりだったが、方針転換したため、飲み時は「今でしょ」となった。
ぼくは、しじみの錠剤とロキソニンを手の平に並べ、シジミの錠剤のみをのみ、ロキソニンをポケットしまった。「ええっ?そんなことまでして走るの?」と言った扶紀子さんの顔が浮かぶ。「そんなことまでして走らないよ」と心の中で応え、足首と膝裏のずきずきを気にしながら走り始めた。

左がしじみの錠剤、右が未開封のロキソニン。迷った証に自分でパチリ 撮影:英二郎
景色が変わるスライド復路
折り返し地点からは往路。エイドから1km先に60㎞地点の計測器が設置されている。「これ、折り返し地点までいかずに、手前でUターンしたらいんちき出来ちゃうな。やらんけど」と考えながら、ピャラピャラとなる計測マットの上を通過。ピャラピャラ音は嫌なのに、ちょっと柔らかい計測マットの上を通過する感触は好きだ。
往路では、颯爽と走る人たちを見てエネルギーをもらえたが、復路になると景色ががらっと変わる。
先ほどまでは、先行する仲間を探したが、今度は追いついてくる健一郎さんと横井さんを探した。カラフルなランニングウェアの中で、黄色を来ている人は少ないが、二人とも黄色いシャツを着ているので探しやすい。
「かっつん発見!」

カッツンこと横井さん。追い上げオーラを漂わせていた。 撮影:英二郎
横井克尚さんのポッドキャストのペンネームは“かっつん”と言う。かっつんも僕を見つけたようで、嬉しそうに、こちらに向かってきてくれた。ぎょろ目の横井さんは日に焼け、ぎょろ目感増量。足取りはしっかりしていて、下っている僕よりも早い。挽回を狙っていることが伝わってきた。
しばらくして、もう一人の黄色いシャツ。健一郎さんがやってきた。スタートして8時間ぶりの再会だ。横井さんに比べて健一郎さんのペースは重い。スタート前に、「この野辺山までの減量に失敗したから、今日減量する」と宣言していた。そのせいか、少し顔が絞られているようにも見える。
「今度のエイドに、冷凍パインがあるよ。最高だったわ」と伝えると、健一郎さんは笑顔で走り出した。
健一郎さんの数百m後方に、ゆっくりと走るハイエースがいた。自主的にリタイアした走者や、関門を制限時間内に通過難しそうな走者を回収するオフィシャルカーだ。大会を円滑に進行するために大切な役割なのだが、最後尾に近い走者の中には、あのハイエースにサバンナの掃除人ハイエナを想起する人もいるそうだ。
ハイエースと健一郎さん後ろにはまだ何人もいたが、その距離はゆっくりと、でも確実に縮まっているようだ。肉付きのいい黄色いシャツを着た健一郎さんは、ハイエナにとっても絶好の獲物に見えているのだろうか。

早くはないけど、疲労感焦燥感がない健一郎さん。いつもマイウェイ、マイペース。 撮影:英二郎
施設エイド、応援の力
健一郎さんと分かれてからは、歩いたり、歩くようなスピードで走ったり、とても長い時間、一人で奮闘した。
とにかく喉が渇く。250ml入るハイドレーションパックにスポーツドリンクを満タンにするが30分で空になる。ペースが遅くなっているので、次のエイドにたどり着く前に水分切れを起こしてしまう。
そんな時、“施設エイド”と呼ばれる、人的に飲み物や食べ物を供給してくれる人たちが本当に助けになった。「ありがとうございます」と改めて伝えたい。
長いマラソンなので、トップが通過してからぼくらが通過するまで何時間もあるはずなのに、沿道には応援してくれている人たちがいて、勇気づけられた。
中でも、腰の曲がったおばあちゃんが忘れられない。古い家屋と同じような色の服を着ていたので、見逃す人も多いかもしれない。「観戦しているのかな」と思いながら前を通った瞬間、小さな小さな声でこう言ったのだ。
「けがはしないように、頑張ってください。」
応援というよりは、話しかけるような感じだったので、あのおばあちゃんがなぜそこにいて、なぜ応援してくれたのか。勝手にいろいろと想像せずにはいられなかった。ぼくにとって、この日一番大きな声援だった。

施設エイドを利用する走者 撮影:英二郎
第4関門 南相木村役場
68㎞関門の手前で、この日4回目の永田さん、菊地さんの姿が見えた。
「えいじろうさーん、やばいよ。後2分で関門しまるよ。急いで~」
いつもタンタンと語る菊地さんの声に緊張感がある。それまで歩いていたのだが、意地で走ったので、1分30秒前関門を通過できた。後で菊地さんが動画を見せてくれたのだが、およそ走っているようには見えない。ちょっとショックだった。
ぼくは昨年42㎞部門に出場し、今大会は68㎞部門へステップアップをする予定だった。しかし、健一郎さんから「100kmにしようよ!」という熱い誘いにほだされ、100km部門での出場を決めた。
関門に併設されたエイドでそばをすする横では68km完走者が笑顔でゴールし、メダルをもらっていた。100㎞にエントリーしたことを後悔してはいないが、微妙な気持ちになる。そこへ、WAVE2の走者に向けて「あと30秒!」という関門締切のカウントダウンが始まった。
トップは8時間でゴールしていたそうなので、スタート時1500人からなる200mほどだった走者の塊は、9時間30分かけて32㎞、160倍の長さに引き伸ばされた計算になる。関門が閉じられた今、自分はその一番端っこになった。
やれやれ、行くか。

グリーンのゼッケンは68㎞部門の人。首にはメダル。そばを飲み込もうとするぼくの首には冷感タオル。第4関門クローズのカウントダウンの声を聞くぼく 撮影:菊地
意地の3.5㎞
68㎞関門を出発すると、走者はほとんどいなくなった。
とろとろ歩く僕に、後ろから来た、同年代の女性から、「自分の意志でリタイアするのはやめましょう。行けるとこまで頑張りましょう」と声をかけられた。
「いや、滝見の湯を超えてリタイアすると、汗どろのまんま回収されてしまうので、滝見の湯が自分のゴールです。」と心の声を口から出さずに「ありがとうございます」と返事をしておいた。
少し先に、70kmのピャラピャラ計測マットが見えてきた。と同時に、後方から抜きにかかる人の気配を感じる。
野辺山ウルトラマラソンでは10kmごとの計測通過タイムが、フルネーム付きでネットに掲載される。今抜かれると、リザルト表でぼくの名前が一段下がってしまう。たったそれだけのことで、何とも言えない執念が湧いた。
おもむろにダッシュ。きっと後ろにいた人はびっくりしたに違いない。ぼくは野球でタッチアップからダッシュしホームベースを踏むように、ピャラピャラ計測マットを踏みこんだ。その瞬間、リザルトという“デジタルタトゥー”に、ぼくの名前を一段上に彫り込むことが出来た。
バカだなあ、おれ。
ぼくのゴール
昨年、香取さんと舟橋さんを応援した滝見の湯が見えてきた。その時、滝見の湯から見た香取さんは姿勢良く、ゆっくり走っていた。舟橋さんは歩いていたが、ぼくらの声援に応えてひきずるように走り始めた。
自分を舟橋さんに見立て、仲間が応援していることを想像し、上り坂を駆け上がり、滝見の湯の前にあるバス停のベンチに腰掛けた。静かなゴールだった。
座っていると、“歩く走者”が10人ほどゾンビのように馬越峠を目指していった。
そして、5分もたたないうちに“ハイエナ”(=ハイエース)が最後尾の走者を捕食しようと坂を上ってきた。
ぼくはハイエナに向かって“「リタイアです(食ってくれ)」と声をかけた。
中から男性が出てきて、「もう走りませんね?(食ってもいいの?)」と確認してきた。「はい」と答えると、ぼくのゼッケンに×をいれた。
「これから風呂に入ります」と伝えると、ハイエナをぼくを食わずに、次の獲物を探しに峠に向かって行ってしまった。
羽鳥さん、香取さん、小島さん、扶紀子さんはどこまで行ったのだろう。
横井さん、健一郎さんは68㎞には着いたのかな。
早く温泉に入りたかった。(川合英二郎)
後編に続く

”かとり”さんと”はとり”さん。漫才コンビではありません。撮影:香取

スライド折り返し地点のエイドにあったビニールプール。出来ることなら飛込みたかった。 撮影:横井

第4関門にかかった健一郎さん。永田さんからプレゼント”冷たい野辺山高原牛乳”に歓喜 撮影:永田
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